伴奏でピアノの力量が出る [ピアノ]
昨日は、外部講師として教えている教室での発表会でした。
生徒のみんなは、それぞれ出来不出来はあると思いますが、頑張りました。
私は本番はもちろん大事だと思いますが、もっと大事なのは、それまでに成してきたもの。
そこに満足を感じていれば、たとえ本番が今ひとつでも、必ずつながるものはある。
もし喜ぶ点、反省すべき点があるとしたら、その辺りにフォーカスしたいものです。
私も器楽伴奏で出ましたが、今回もたくさんの先生が伴奏として出演されました。
私は本当にまだまだなのですが、うまい先生は本当にうまい。
聴いていると伴奏にはピアノの力量がはっきり出るなと思いました。
本当に上手な先生は、おそらく「伴奏」とは考えていない。「アンサンブル」と思っているのでしょうね。
その場の音楽作りを最適なものにするためには、ピアノの技術はもちろんのこと、それ以上に「察知力」というものが必要になると思います。
伴奏だからと陰に回るのではなく、寄り添い、時に主張し、トータルで聴き手を満足させる。
まさに、ピアノ弾きとしての力量がそこには如実に表れます。
そうした力量があるのだけれど、いかにも何でもないことのように、さらりと弾いてしまう。
そんな人に、強い憧れを感じますね。
新井洋行さんの「みず ちゃぽん」 [ピアノ]
とある先生から、素敵な絵本をいただきました。
新井洋行さん著の「みず ちゃぽん」です。
著者の新井洋行さんは、「おしいれ」「れいぞうこ」「どっちのてにはいってるか」など、たくさんの絵本を書いてらっしゃいます。
非常にシンプルな絵本ですが、このくらいシンプルだからこそ、1歳やそこらの子どもには分かりやすいのでしょうね。
有り難いことに、私はたくさんのピアノの先生から、絵本の情報をたくさんいただくことができているので、とても嬉しいです。
まだ行ってはいないのですが、銀座には絵本の専門店がある、ということでぜひ行ってみたいと思っています。
絵本は子どもたちの感性を刺激しますよね。ただ、どんどん買っていると際限ないので、図書館で借りるのがベスト、というお話も聞きました。
私が小さい頃読んで覚えているのは「まっててね、ぴょんこ」という絵本。
確かぴょんこが病気なので、それを看病するために、たくさんのカエルたちがぴょんこのためにお見舞いのお菓子やオモチャを持っていく。
そんなお話だったように思います。
子ども心に、困っている人には優しくすることが大切なのだと感じた記憶があります。
絵本から学ぶことは多いですね。
過去の自分に教わる [ピアノ]
留学時代に勉強していた楽譜を開く。
バッハの平均律、b-moll。
プレリュードも素晴らしいのだけれど、5声のフーガがまた格別。
敬虔、静謐、思慮深さ。
b-mollには、そんな言葉がしっくりくるような気がします。
ここかしこに書き込まれた注意書き。
自分にも勤勉さがあったのだ、とあらためて自戒する。
過去の自分に、教わることも、大切なことかもしれません。
多くを経験する意味とは [ピアノ]
先日、美容師さんとお話をしました。
「美容師に必要な資質とはなんでしょう?」
その答えとして、彼はたくさんのことを教えてくれましたが、大きく言うと、
「センス」そして「こだわり」
ということでした。
何かを見たり触れたりしたときに、良いな、美しいなと思える心、それを表現できる「センス」、また、ファッションから生き方まで、「これが自分だ」という「こだわり」があること。
髪を切るテクニックに関しては、誰でもある程度まではつけることができる。けれども、そこから先は、その人にしかないものを持っている必要がある。
そうした人が、業界で成功していくのだ、ということでした。
また、「99%の努力と1%の才能」という言葉もありますが、美容師の場合は、才能の割合は10%くらいなのではないか、とおっしゃっていました。
美容師の世界も、いわばひとつの芸術。そこに才能やセンスは必要だと言うことですね。
なるほど、これらはピアノにおいても同じことが言えるのではと思いました。
「努力できること」、「テクニックがあること」は大前提ですが、才能やセンスは、やはりその人にしかないものであり、音楽する上で重要な要素だと思います。
また、人として「どのように生きてきたか」と言う点は、音楽の世界で仕事をする上で、大切だと思います。
だからこそ、いろんなものを見て、たくさんの本を読み、いろんなものに触れ、多くの経験をしろ、という助言が生まれるのでは、と思ったりします。
ピアノとのファーストコンタクト [ピアノ]
私が、少なからず心がけているのは、気持ちの良い挨拶。
「挨拶は相手のためでなく、自分のためにするものだ」
そんな言葉もあるように、自分にとって大事なものがそこにあるように思います。
自分のピアノはもちろんですが、私は仕事柄、いろんなピアノに触れる機会があります。
そのピアノとのファーストコンタクトは、やはり大切にしたい。
特に、そのピアノにとって、初めて音を出すのが自分の場合。
自分の音色や、気持ちの向け方によって、そのピアノの「一日」が決まってしまうような。
だからこそ、たとえそれがどんなに辛そうなピアノでも、心を込めて最初の「音」を置きたい。
結果的にそれは、自分の「音楽」や「ピアノ」との向き合い方に関わってくるような気もします。
ピアノとのファーストコンタクトは、挨拶と同じなのかもしれませんね。
ふと思い出した耳鼻科の先生 [ピアノ]
花粉症のせいか、鼻が苦しい日々が続きます。
今は、市販の鼻炎スプレーでしのいでいますが、効き目がそれほど長く続かないため多用してしまいます。
鼻がつらいと、集中力が薄れがちになりますね。
思えば、私は中学校の頃まで鼻がよくありませんでした。
ですが、がんばって耳鼻科に通ったところ、何と治りました。
その頃通っていた病院には、本当に今でも感謝しています。
近藤マッチと同じ名前の、だみ声のおじいさん先生(笑)
まだお元気でらっしゃるのだろうか。
ふと思い出しました。
その一言が、やっぱり大切 [ピアノ]
私の元には、演奏会のお知らせなどがよく届きます。
お手紙だったり、メールだったりしますが、そこに「自分に宛てた言葉」があるとないとでは、やはりその人への思いは全く違います。
一斉メールでは、ちょっとさみしい気もします。
また、チラシとプリントされた手紙だけ、もちょっとさみしい。
そこに一言でも、自分への言葉があるだけで、「行ってみたいな」「この人応援したいな」と思ってしまうのは、きっと私だけではないでしょう。
誰でも人は、「自分ごとなら動く」もの。自分だけに贈られた言葉に、嬉しくならない人はいないですよね。
ということで、私も演奏会をするときには、必ず一言入れるようにしよう。
本番の演奏よりも大切なことが、そこにあるような気がするから。
半音は100セント。 [ピアノ]
先日、いつもお世話になっている調律師さんといろいろとお話しました。
初めて知ったのですが、100セントが半音ということ。つまり、「100セント下がっている=半音狂っている」、ということですね。
また、15セント以上狂っているピアノでは、聴音やソルフェージュ、音感教育などに適さない、ということらしいです。
随分狂っているピアノでソルフェージュをやっている先生が多いんですよ、とおっしゃっていましたが、確かにそれでは、子供たちに正しい音を聴かせることにはならないですよね。
こまめに調律する、ということは、ピアノのためということと同時に、耳を養うこと、正しい音程を知ることと深い関係があるんですね。
せっかく「セント」という単位を覚えたので、これからは調律師さんに、「今回、何セント下がってました?」と聞いてみようと思っております。
業界用語っぽい感じがするところに、ちょっと学んだ感がありますね(笑)
鍵盤を温める [ピアノ]
皆さん感じていると思いますが、冬になると、ピアノの鍵盤はかなり冷たくなります。
冬の寒さが厳しい故郷では、鍵盤が本当に氷のように冷たくなりました。
部屋を暖めても、鍵盤はなかなかあったまらないものなんですね。
そこで、鍵盤が温めるために、ストーブに手をかざして、弾いて、また手を温めて、また弾いて、という作業を繰り返します(笑)
体温を鍵盤に伝える、という感じでしょうか。
そうするとピアノが分かってくれるのか、鍵盤があたたかくなって、それと共に音も良くなってきます。
なかなか時間はかかるのですが、そうやっていると、自分とピアノが対話をしているような感じになってくるのを覚えています。
「今日もよろしくな」
温めながら、そんな気持ちになります。
なんでも気持ちは、伝わるものですよね。