「知って得するエディション講座」 [書評]
私はドイツ留学中に、シューベルトの「冬の旅」を、伴奏者としてテノールの方と一緒に勉強したことがあります。
その時に師事していたドイツ人の老先生が、
「ファクシミリがあるから自宅に見に来なさい」
とおっしゃっていたので、テノールの方に便乗して行きました。
その時に見たファクシミリ(自筆を写真製版して再現したもの)は、本当に感動的でした。
まさに、シューベルトの生きた時代に戻ったような、彼の世界観を垣間見たような、そんな興奮がありました。
また、ピアノの先生であれば、生徒さんからこんなことを言われたことがあるでしょう。
「なぜ同じ曲なのに、いろんな楽譜(版)があるのですか?」
この疑問は、私も小さい頃から抱いていました。
今でこそ理解できますが、ここに至るまでは、いろいろと自分なりに思考を巡らせたものです。
エディションの問題に関しては、音楽をする者にとっては切っても切り離せないもの。
こちらの、「知って得するエディション講座 吉成順・著」では、楽譜を選ぶ時、音楽を創り上げる際に大切な「エディション(版)」について、詳細な研究をもとに書かれています。
この書籍は「月刊ムジカノーヴァ」の2009年4月号~2010年3月号までの連載を一冊にまとめたものです。
「エディションとは何か?」から始まり、具体的な作品を取り上げながら、様々な版や作曲者の意図を解説しています。
「モーツァルト ピアノソナタK.310」
「バッハ インヴェンション第1番、平均律第1巻1番」
「ベートーヴェン エリーゼのために、熱情」
「シューベルト 即興曲Op.142 第2曲」
「メンデルスゾーン 無言歌」
「シューマン 楽しき農夫(こどもの情景)」
「ショパン ノクターンOp.9-2、エチュードOp.10-3、プレリュードOp.28-15」
「リスト 愛の夢第3番」
「ブラームス ハンガリー舞曲第5番」
「ムソルグスキー 展覧会の絵」
「チャイコフスキー 四季」
「ドビュッシー 子どもの領分」
「ラヴェル 夜のガスパールよりオンディーヌ」
こうした作品が、様々なエディションの事例をもとに、譜例も豊富に解説されています。
この本でも紹介されていますが、以下のサイトで、自筆を閲覧することができます。
●モーガン・ライブラリー(ニューヨーク)
自筆譜を、これだけ詳細に見れるのは、さすがネットの時代、という感じです。
作曲者の息遣いや興奮まで伝わってくるようで、見ていて飽きることがありません。
著者の吉成先生もおっしゃっていますが、
「私たちにできることは、なるべくたくさんの情報を集め、それを元にして自分で判断することなのです」(あとがきより)
これは、版を選ぶ際、あるいは作曲者の意図を汲み取り、より忠実に音楽を再現するときのポイントだと思います。
私もピアノの学習の際には、とにかく多くの版を集め、比較検討することを、幼い頃から恩師に教わりました。
1曲勉強するのに、5つも6つも違う版の楽譜を眺め、そこに流れる「意図」を汲み取る作業に時間をかけます。
これが、作曲者に近づくことであり、自分の求める音楽に近づくことではないか、と思ったりします。
こうしたことは、大きく言えば、現代の情報収集や情報の精査に関しても同じことが言えるでしょうね。
音楽においては、まさに情報を多角的に読み取り、時には懐疑的に批判的に見つめること。
そこから、自分なりの「結論に最も近いもの」を導き出し表現することが求められます。
そのための「エディション」の問題や考え方は、無くてはならない、必須の知識だと感じます。
久々に強くお勧めできる一冊ですね。
★今日の一冊
「知って得するエディション講座」吉成順・著(音楽之友社・刊)
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